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---------------------------- 2005/05/01 管理人

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『マシュー・バーニー展』 @金沢21世紀美術館

金沢21世紀美術館外観アホなことに、アップするのをすっかり忘れていた。お盆(2005/08/18)に帰省した際に見てきた展示についての記事である。どうせもう終わった展示なので、読んでくれなくて結構。すね。

拘束のドローイング『マシュー・バーニー展』と題されたその展示で私を刺激したのは、それがいかに性的なモチーフを扱っていたとしても、か細く弱い線で描かれたミミズが這ったようなあれらのデッサンではなかった。マシュー氏(知らないけど)の意図は、彼がミミズにまで成り下がり、そのへたくそなデッサンを描かざるを得なかった「拘束」の過程にあるのだろう。だから彼は自分の身体に太いゴムを巻きつけてその拘束力と彼の筋力との緊張がミミズの線を生み出している時間をビデオに撮って、ゴムと一緒に展示している。しかしその過程にもまた私はピンとこなかった。そしてデッサンを閉じ込めている分厚い額縁と、額縁を閉じ込めている美術館のことばかりが気になった。

金沢21世紀美術館廊下展示されているゴム、おもり、トランポリン、ロープなどは、いずれもマシュー氏の運動の残骸としてある。彼の運動の様子を直に収録したビデオもまた残骸(冗談でもいいから画面の右隅に"LIVE"というテロップを入れても良かったかもしれない)、そして成果物としてのデッサンも残骸に過ぎない。それらの残骸を全て集めても、“あの時”彼がまさにそこ――21世紀美術館――で運動していた生々しさが蘇ってくる感じもせず、とどのつまり残骸は残骸、あの展示を墓場と言い換えてもいいのかもしれない。(この印象はマシュー・バーニー展のもうひとつの中核となっていたクジラやエビの「死体」の彫刻が喚起したものだろう。)

既に過去のものになってしまったもの、もう息絶えてしまったものが尊くなるのは、宗教的なお祭りが催されそれが何らかの形代(かたしろ)に存在の肩代わりをしてもらうときだろう。“あの時”に描かれたミミズの這ったデッサンを見て、揺るぎない形をしてデッサンの周りを囲っている額縁や、21世紀美術館に目がいくわけだ。墓石に手を合わせるような心境だった。もちろんそのことに関してマシュー氏は意図的である。デッサンの弱々しさと対照的な、あの額縁の頑丈さにはアツい情念を感じた。

金沢21世紀美術館外周デッサンは美術館の白壁にもじかに描かれていた。「拘束」されて描いたそれは落書きにもならない代物だが、私の背の何倍もの高さのところに描かれていて、ここにも「拘束」の跡が見える。都会の薄汚れた壁の信じられないところ――例えば山手線の軌道すれすれの壁とか――にちんぴらが描いた落書きがあったりするが、あれを見たのと似た感情にとらわれた。しかしそれに及ばないのは、犯罪の匂いが足りないからだろうか。ちんぴらの落書きには、街を汚した強烈な悪が満ちているが、美術館の壁にあるミミズのデッサンには、どうせ展示が終わってしまえば一般人が見たこともないような強力洗剤で、掃除夫がきれいにしてしまうんだろうという、安心を感じてしまう。そしてやはり、金沢21世紀美術館の無限に広がる白壁の、ゆるぎなさばかりが思われる。

こうしてこの展示は、拘束、とりわけ美術館や額縁など、芸術と名の付くもの全てにまとわりつく「場所の拘束」を意識させるのだが、ひたすらそれらの拘束に屈するばかりだった。新しい美術館の頑強さを誇示するのもいいが、今度帰省したときには、展示物に虐げられる美術館の姿が見たいと思った。

ケーキ動向

蛇足ながら、併設のカフェレストラン Fusion21 では夏の期間中、ケーキ食べ放題企画をやっていて、とてもにぎわっていた。値段も安価で(1200円くらいだったかな)、とてもおいしかった。私はあの美術館はそのうち Fusion21 に食われてしまうのではないかとひそかににらんでいる。

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