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---------------------------- 2005/05/01 管理人

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『ティム・バートンのコープス・ブライド』 始まりの蝶

ティム・バートンのコープス・ブライド冒頭、ビクター(ジョニー・デップ)の手によって鮮やかにノートへ描かれた蝶、そのモデルとなった実物が虫かごから放たれる。一体、その蝶はどこに向かって飛んでいったのだろう?生者のつまらない日常を飛び回るのか、死者の陽気な地底へと潜り込んだのか、そして蝶は、彼女を閉じ込めていた虫かご以外の何かから解き放たれたんだろうか。しかし、これらの問いに回答は必要ない。私達がスクリーンに見続けるのは蝶の飛翔が描く軌跡そのものだからだ。

ビッグ・フィッシュティム・バートンの映画には“ここではないどこか”が描かれる。非現実的な物語の果てに現れる更に空想的な場所、『ビッグ・フィッシュ』のスペクターの町、『チャーリーとチョコレート工場』ではウォンカがチャーリーと訪れる子供の頃に消えてしまった実家がある荒地。そんな“ここではないどこか”に登場人物たちが辿り着くためには通過儀礼とも言える決定的な体験が必要だった。鬱蒼と茂る呪われた森の中を必死に逃げ廻る末のスペクター、工場よりも家族を選ぶチャーリーとの出会いがウォンカを父のもとへと赴かせる。断絶してしまった「あの場所」へ行くことは、そんな通過儀礼を伴って「ここ」と通底させてしまうことだ。「あの場所」で起こったことは「ここ」にフィードバックされ、彼らは変化を余儀なくされる。空間は途切れていても世界は変わる。

チャーリーとチョコレート工場クレイ・アニメの本格的な監督に挑んだバートンは『コープス・ブライド』でそんな手の内をあからさまに見せつけてくれる。生者と死者の世界は死んだ花嫁との結婚により接続される。バートン印の手仕事によって獲得された奔放闊達なカメラワークがスクリーンにその様を嬉々として繰り広げてみせる。その時、この映画を見つめる自由があの蝶と無縁でなかったことに気付いてしまう。ひらひらと舞う蝶のように「ここ」と「あの場所」を飛び交っていく視線、何の通過儀礼がなくとも映画と接続されるためのギミックとしての始まりの蝶はバートンが巧妙に用意したものだ。

夢か現(うつつ)かは問われることのない場所、そこにティム・バートンの映画がある。あらゆる場所が体験と見ることによって通底してしまう映画、手仕事による奔放さで見ることが世界を変えてしまう自由に昇華される映画をバートンは作り続ける。『コープス・ブライド』のラスト、無数の蝶が夜空に向かって飛び立つ姿は、無数の視線の開放、これから作られる映画の羽ばたきに見えてならない。

[2005/米] [監督]ティム・バートン/マイク・ジョンソン[声の出演]ジョニー・デップ/ヘレナ・ボナム・カーター/アルバート・フィニー 他
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