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---------------------------- 2005/05/01 管理人

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『TAKESHIS’』 突きつけられた銃口

台詞で語られるイメージが次々に映像となって私たちの目に映る。ラーメンの話をすればいつの間にかラーメンがクローズアップで現れ、「マネージャーがタクシー運転手であったら」という会話になれば彼がタクシーの前に運転手の格好でたたずむ姿が示される。脳裏を過ぎった映像にしか見えなかったそれらはやがて一つ一つのシークエンスとなって反復的に、そして詳細に映画の中で語られる。妄想に次ぐ妄想の連想ゲームはとどまることを知らず、加速し、収拾のつかない破壊へと導かれていく。

座頭市〈フラクタル(自己相似図形)〉という仮題のもとに構想された『TAKESHIS’』がどんなにその入れ子構造的な物語からますます乖離し、複雑怪奇、混乱を極めた映画に見えようと、この映画自身がその責めを負うことすら簡単に撥ねつけてしまう。ビートたけしが北野武とビートたけしを演じるだけでなく、他の登場人物も何重もの役柄を引き受けながら見たことのある風景としてのシークエンスが陰惨に突き進んでいく時、残されるのは繰り返しの速度だけかもしれない。前半では抑圧されていたかのような140BPMに統一されたBGMが後半でタップダンスやDJ、乱発される銃声とともに打ち放たれことで、観客である我々は映画にしがみつくことしか出来なくなる。同じように大団円でタップを用い、リズムだけで殺陣の演出までやってのけた『座頭市』とは生成の過程が異なるかのように、『TAKESHIS’』の映像はリズムさえもかなぐり捨てる速さで出来ている。

Dollsならば、その速度が何だと言うのか。混沌だ、宇宙だと騒がれようと、ただ速いだけの映画。それは反復が生み出す歴史もイメージも全てを置いてきぼりにしていく。そして更なるスピードアップ。速度は上昇し内圧を高め、銃口へと収斂していく。執拗に人体へ向かって打ち込まれる銃弾は血飛沫をあげ、物語もイメージもリズムもぶっ放してしまう。映画が映画を破壊していく最中、楽園に留まることも出来ず、北野武が戻る場所はまた映画の中だ。我々は『TAKESHIS’』を見た後、また映画に戻れるのだろうか。しかし、考える猶予はなかった。既に銃口は突きつけられた。

[2005/日本][監督・脚本・編集]北野武[出演]ビートたけし/京野ことみ/岸本加世子/大杉漣/寺島進
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