KINEMAtograph/Mirror

KINEMAtograph[キネマトグラフ] は移転しました。
ここはミラーサイトとして運営しています。(時々更新します)
恐れ入りますが、http://kinematograph.net/ へブックマークの張り替えをお願い致します。
(記事へのコメント、トラックバックは停止しています。ご意見ご感想はこちらで承ります。)
---------------------------- 2005/05/01 管理人

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | permalink | - | -
<< 私立探偵 濱マイク 6「名前のない森」 〜独り寝に纏わるIDクライシスについての私論〜 | main | [イベント] 森達也・長谷正人・高橋洋 と話せる週末のお知らせ >>

笑の大学 〜“自由のために” 青空検閲の必要性〜

笑の大学映画化によって舞台版から追加された部分、特に検閲官向坂が劇団笑の大学の芝居小屋に入るか入るまいかと逡巡するシークエンスは、舞台版の脚本を映画版の脚本へと見事に発展させることができたのではないかと思います。もともと舞台『笑の大学』でも(二人芝居のうち)向坂の心情変化がストーリーの主軸を成していたのですが、映画『笑の大学』では向坂のキャラクターにさらに深みが加わったのではないでしょうか。

また今回の向坂は舞台版で西村雅彦が演じたのとは明らかに違う風情でしたが、役所広司の体内で正しく化学反応が行われていたと言えそうです。つまり西村雅彦自身が持つ無二の個性による、少しひねた子供っぽい検閲官像も捨てがたいのですが、今回の向坂が持つマジメな大人ゆえのためらいや葛藤もまた役所広司にしか許されない快演だったと思うのです。その分、椿は萎んでしまったなと感じざるを得ませんでした。椿は役柄上、向坂が投げてくる変化球をうまく受け止めてこそ生きます。近藤芳正は舞台をあっちこっちに跳ね回り、額から流れ落ちるすさまじい量の汗でそれを成し遂げていましたが、それに比べると稲垣吾郎の椿はもっとずっとクールで弱々しかった。それは演劇の「場」――汗の匂いが伝わる空間――とは違う、映画なりの椿だったのかもしれませんが、それなら尚更問題は、『笑の大学』を映画化する必要があったのか、というところに戻ってきてしまいます。

何を隠そう私には自主映画と舞台演劇の両方を制作した経歴があります(しかもワケあって舞台版『笑の大学』のビデオを穴が開くほど見、その一語一句、役者の一挙手一投足まで覚えている始末です)。映画と舞台との関係の問題は私がずっと考えてきたテーマでもあるのですが、両者の距離は途方もなく隔たっていると言わざるを得ません。一連のフィルムを分断・接合することで恣意的に「時間」を破壊・再構成しながら作られる映画の表現は、舞台演劇で「場(場所と時間)」を維持しながら為されるのとは全く異質のものなのです。そして「映像のない映画」など考えられないほど映画における映像は絶対的な力を持っているのですから、映像的快楽を観客に与え続けるのでなければ、「映画における時間」は維持され得ないのです。

そんなことは何も私が指摘するまでもなく、映画監督ならば誰でもとっくの昔から意識しているわけで、当然映画『笑の大学』を監督した星護にしても例外ではありません。彼は映画化の話を持ちかけられて随分長くためらったと、公式ホームページにも書いてありました。壁と机と椅子だけの殺風景な検閲室での密室劇(舞台移動がない)、登場人物はわずかに二人、彼らが大量のセリフを吐くことによってのみ進むストーリー。舞台『笑の大学』が傑作であるのは、およそ映画的快楽とは程遠い理由によるものなのです。これを映画化するのは、まるで高級ワインをワインゼリーにしてしまうような愚行、そのまま飲んだ方がいいに決まっています。

シカゴ スペシャルエディション映画化に当たって加えられたもの――向坂が検閲室でぐるぐる走り回るのを部屋の中心にすえたカメラがぐるぐる回って追うショットや、検閲室の廊下や劇場周辺など検閲室外のシーン――は映画『笑の大学』が正しく映画であろうとしたためだと解釈できますが、それにしても全体のカメラワークはセットや人物をほぼ真正面から捉えた、演劇中継のようなものばかりでした。そう丁度『シカゴ』のミュージカルシーンと同じやり方です。監督は意を決して映画『笑の大学』に取り組んだのかもしれませんが、結局は舞台『笑の大学』を脱することはできず、映画『笑の大学』は舞台『笑の大学』の消極的な再現に過ぎないように見えます。少なくとももっと勢いよくあの殺風景で狭苦しい検閲室から飛び出てもよかったのではないでしょうか。空襲で破壊されてしまった検閲室跡の焼け野原で青空検閲をする、例えばそういう形の映画化だったならば、もしかしたら演劇の束縛から逃れて映画の自由を獲得した映画『笑の大学』になっていたのではないのか。私も映画監督のなり損ねなりにそう思うわけです。(そんなの『失笑の大学』だったりして。なは。)

文化の日で、レディースデー(女性1000円)ということもあり、新宿文化シネマは満員でした。この記事の内容とはおよそ相反しているのですが、場内は終始爆笑とすすり泣き、そして泣きながら笑う声で満たされていました。劇中の、劇団笑の大学の客席の様子とほぼ同じです。正直、私はとても幸せな時間を過ごしたような気がします。少しくらい並ぶのを我慢してでも、ちょっと込んでいる日を選んで見に行くべき映画だと思いました。

笑の大学 公式ホームページ
[amazon][DVD] 笑の大学

[2004日本/東宝][監督]星護[製作]亀山千広/島谷能成/伊藤勇/重岡由美子/市川南/稲田秀樹[原作][脚本]三谷幸喜[撮影]高瀬比呂史[音楽]本間勇輔[出演]役所広司/稲垣吾郎

[関連BLOG]
私のほかにもセリフを暗記なさっている方がいた!!
yukijirouの日記(2004/11/04)
はてなダイアリーにトラックバック打つの、ってちょっとめんどくさいんですね(汗
Kinema | permalink | comments(2) | trackbacks(2)

スポンサーサイト

- | permalink | - | -

この記事に対するコメント

先日はTBありがとうございました。
「高級ワインをワインゼリーにしてしまうような愚行、そのまま飲んだ方がいいに決まっています。」
なるほどぉー。確かにそんな印象に終わりました。昨日見てきて感想アップしましたのでTBさせてもらいました(*^_^*)
ゆきじろう | 2004/11/07 3:02 AM
>ゆきじろうさん
拝見しました。圧倒的に詳しい比較に、並々ならぬ愛を感じた次第でございます。

その他のブログの感想も、賛否両論。ただ、舞台を見ていないのに、舞台のほうが面白そうだ、と感じる方がいること、とても重要なことに思えます。私と一緒に見た方も同じことをおっしゃっていました。
私はCHICAGOを観たときにそう感じたのですが、映画化に際してあまりにも演劇に寄り添った演出をすると、どうしてもそういう感想が出てきてしまうのだと思います。そしてそんな風に言われるくらいなら、もっとがっぷり四つに「映画」と取り組んだアレンジをして、元の芝居を想起させないくらいに映画として一本立ちさせればよかったのではないかと思ってしまいます。
マサキ杏平 | 2004/11/07 1:16 PM
この記事に対するトラックバック
映画「笑の大学」 今日見てきました。 終わってから、どうブログに書くかな・・・けっこうそればかり考えていた。 結論から言うと 舞台は越えられなかった。 と思う。 正直にいうと、見る前のブログで少々きつ ...
[新選組・三谷関係]見てきました。 | yukijirouの日記 | 2004/11/07 3:00 AM
KAZZのこの映画の評価  先週、話題の”笑の大学”をやっと見てきました 三谷幸喜は、凄い ここまで、映画館で観客が声を出して笑っていた映画って、なかったんじゃないかな 役所広司、稲垣吾郎も、只者ではない! 笑いのツボって、人によって違うので、絶対
笑の大学 | (売れないシナリオライター)KAZZの呟き! | 2004/11/28 12:52 AM