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2046 〜擦過傷を負っても〜

2046すれ違い、通り過ぎるということは私たちが普段感じているよりも、もっと抜き差しならない、厳しい体験なのではないでしょうか。時に交差し、時に平行し、時に逆行しあう「通過」という動き。それは衝突の危険性を常に孕みながら、擦過傷を負う覚悟で臨まなくてはならないのかもしれません。『天使の涙』で金城武演じる、喋ることの出来ない青年・モウに「僕はすれ違うことを拒まない」と言わせたウォン・カーウァイは、通り過ぎる苛酷さを映画に映し出そうとしているように思えます。

天使の涙『2046』は前作『花様年華』の続編であり、連作と考えて良いのでしょう。両作の主人公であるトニー・レオンの設定は引き継がれており、時代設定も66年から67年へと明確に連なっています。しかし、『花様年華』と『2046』を一連なりの物語だと解き明かすことには何の意味もありません。ただ、『2046』で映し出される登場人物たちは少なくとも、『花様年華』の通り過ぎた愛を引き受けています。

花様年華『花様年華』には二人の男女がすれ違う瞬間がフィルムに刻まれています。お互いの妻と夫が不倫していると気付いた二人がレストランで食事をしているシーン、または雨宿りをしているシーン等、そこには「通過」する動きではなく、その瞬間、立ち止まることが確実にカメラに捉えられていました。二人はそのすれ違いの中で、肉体関係があろうとなかろうと、擦れ合い、傷に耐える強さを獲得していくようです。終盤、トニー・レオンはアンコールワットに赴き、まるで銃痕のように穿たれた石壁の穴に向けて何かを囁きます。そして彼の秘密を受け入れた穴は、土と草で埋められ、傷跡は掘り返されることはないのでしょう。

欲望の翼『2046』では、その傷を引き受けてあらゆる物や人が通り過ぎていきます。ミステリートレインが、ラジオから流れるクリスマスソングが、日本から送られてくる恋人からの手紙が、トニー・レオンとチャン・ツィイーが愛し合った証である10ドル札でさえ「通過」して行くのです。たとえ、そのすれ違いの中で擦過傷を負ったとしてもひたすらに通り過ぎつづけ、傷を負わないアンドロイドでさえも回路が磨耗し、疲弊してしまう世界。だからこそ、すれ違いの記憶へと人は向かい、アンコールワットの傷跡のように二度と抉り出されず、「通過」することに耐え続けるのです。

恋する惑星私はすれ違いの記憶が刻まれた『花様年華』の方が素晴らしい作品だと感じます。しかし、今、『2046』の映画館前を素通りすることはお薦めしません。素通りと通り過ぎることは違います。スクリーンの前を通り過ぎることで傷を負ったとしても、それがすれ違う痛みなのではないでしょうか。

[2004香港/ブエナ・ビスタ] [監督][製作][脚本]ウォン・カーウァイ[撮影]クリストファー・ドイル/クワン・プンリョン/ライ・イウファイ[音楽]ペール・ラーベン/梅林茂[出演]トニー・レオン/木村拓哉/コン・リー/フェイ・ウォン/チャン・ツィイー/カリーナ・ラウ/チャン・チェン]

2046公式サイト
[amazon][DVD] 2046

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この記事に対するコメント

「その時、ふたりの距離は0.1ミリ。57時間後、僕は彼女に恋をした」
だっけ。思い返せば『恋する惑星』のエレベーターのときからずっとすれ違いをやり続けてるんですね。ウォン・カーウァイ。

こないだは2046を素通りしてしまいました。前売り買ってあるのに。だって、立ち見だなんていうんだもの。
新宿3丁目の映画館の一番大きいところで公開したところ、それほど客が入らなくて、一番小さなところと交代したばっかりに立ち見。その大きなところに行ったのが『笑の大学』で、結局そちらへ。
でも『笑の大学』も大盛況でした。

なんたるすれ違い。
マサキ杏平 | 2004/11/07 2:02 PM
立ち見でしたか、それはすごい。
私は平日の昼間なんてふざけた時間に見に行っているせいかもしれませんが、公開4日目なのに20人くらいしかいませんでした。

確かに明るく楽しい映画ではないですから避けられがちなのかなという気もします。でも、少しはいいんじゃないかと。前売り持ってる人は急いで見に行ってください。危ないかもしれないですからね。
田村 博昭 | 2004/11/09 11:17 PM
ANOU NAZEKA BOKU NO iBOOK KARA WA NIHON-GO GA KAKE NAI NODE EI-GO DE KAKI MASU.

It is an important problem why main characters repeat special or priviledged times so many times, although they know they would keep the scars wounded. I prefer thinking that to be something melancholy. Maybe that could have much to do with the main theme of Robert Zemeckis, to say nothing of BACK TO THE FUTURE or CAST AWAY.

Everybody knows he is now in Tokyo. Today I joined the press conferece for THE POLAR EXPRESS (that film was so so...). I was so lucky enough to be asked a question to him and be able to talk to him!! Then, certainly, I showed the performance mimicking Biff in Japanese, "HAI-TTE MASU KA? HAI-TTE MASU KA?".

The big heads of androids in 2046 seemed to be empty. They looked like those of the BABA-A in cartoons of Man Gatarou.

Man man.
Nuga | 2004/11/13 12:47 AM
ゼメキスにビフ真似、チョー羨ましい。ワーゲンバスを指さして「リビア人だー!」ってのもやって欲しかったぞ。ゼメキス師のリアクションに関しては某誌に載るのかな。

nuga氏にはメランコリー論をいっちょ書いてもらいたいところです。来年度あたり、ヒマになりませんか。ねえ。

2046はこないだ見ました。私が気になったのはやっぱりドイル氏のカメラワークです。終始役者に接近して、ワイド画面の右隅左隅に顔のドアップを配置していました。そして画面中心からたっぷり空いた余白は、ベタを塗ったようにして、壁、壁、壁。顔から顔へとショットが繋がれていくのは、マンガ的モンタージュですよね(not手塚but楳図)。役者が押し黙っているとき、ついそこに「ふきだし」を入れたくなるような、そんな余白がありました。

壁が画面に広大な「ふきだし」スペースを作るとき、その壁の背後にはもう一人の人が隠れていました。キムタクとフェイ・ウォンが狭い玄関で向かい合って話すシーン。切り返しショットで交互にふたりの顔が繋がれていました。ただ、一方が話しているとき、もう一方の肩や背中が本来ならば見えているところ、カメラ手前の壁のせいで遮られていました。

会話は話し手と聞き手がいて成立するものです。キムタクとフェイ・ウォンが会話をするとき、話し手(もしくは聞き手)の姿だけが映されていたのではないかと思います。聞き手不在(もしくは話し手不在)なのは、電話もそう。手紙もそう。「行く、行きます、連れてって」と日本語の練習をひとりでするのもそう。視線が遮断されるという意味で。見つめ合って髪にタッチするタイミングっていうのは、本当に刹那で、それこそ特急電車のすれ違いのようなものなのかも知れません。

当に来たらんとする重要な瞬間を逸してしまうのを、回路の摩耗だとかいうことで言い訳するのは、嘘です。それはもしかして過ぎ去りし重要な瞬間、逆説的には未だ来ない重要な瞬間へのメランコリーのせいかもしれません。

映画の約2時間というのは決定的な瞬間を見逃さないためのものです。2046で繰り返されたのは重要な瞬間を「逸する瞬間」ばかりであり、「すれ違う瞬間」でした。観客がそれで満足するのかどうか、私には少し疑問です。但し「逸して」、全て取りこぼして何もないわけでもない。「逸する瞬間」は、全て過去の重要な瞬間を参照するためのものであって、逸した瞬間に記憶の中に「重要な瞬間」が再現されるわけです。(そういう意味で参照先の「花様年華」を見ておかなければ、成り立ち得ない映画ともいえます。)

2046が参照という形で重要な瞬間を生み出すのは、それはそれでいいとして、しかしやはり個人的には何かを確かに掴み取る瞬間というものを私は映画に求めてしまうわけで、ゼメキスの『キャストアウェイ』のラストシーン、妻を失ったトム・ハンクスがお届け先の見知らぬ女と視線を交わしたのは、映画史に残るサイコーの「重要な瞬間」だったのではないかと思います。
マサキ@亀レス | 2004/11/18 1:35 AM