KINEMAtograph/Mirror

KINEMAtograph[キネマトグラフ] は移転しました。
ここはミラーサイトとして運営しています。(時々更新します)
恐れ入りますが、http://kinematograph.net/ へブックマークの張り替えをお願い致します。
(記事へのコメント、トラックバックは停止しています。ご意見ご感想はこちらで承ります。)
---------------------------- 2005/05/01 管理人

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | permalink | - | -
<< 2046 〜擦過傷を負っても〜 | main | [緊急][イベント] 万田邦敏+万田珠実+長谷正人+新作+トークセッション >>

コラテラル 殺し屋VSタクシー

コラテラル“コラテラル”とは巻き添えと言う意味で、それは間違いなくトム・クルーズ演じる殺し屋ヴィンセントを自らのタクシーに乗せてしまう運転手マックス(ジェイミー・フォックス)のことです。この映画は殺し屋が運転手を一晩自分の仕事につき合わすという内容なのですから、当然タクシーの中でのシーンは多くなります。しかし走行中の自動車を面白く撮るということは並大抵のことではありません。

自動車という乗り物は日常的な乗り物であって、走行中その内部のみで事件を起こすことは困難です。現にこの『コラテラル』も自動車内部においての取り立てて珍しくも無い映像や空撮、そしてヴィンセントの哲学的殺人理論とそれを拒絶するマックスの言葉によって時間は埋められていきます。ヴィンセントによる仕事の遂行(その技術は個人的に素晴らしいとは思いますが。)は決まってタクシーの停車中になされ、夜のロサンゼルスを疾走するというその行為自体とは直接的関係ではありません。映画の冒頭でマックスは客のジェイダ・ビンケット=スミス扮する検事のアニー(ヴィンセントの5人目の標的)とタクシーが渋滞に巻き込まれるか否かを賭けて、見事自動車が止まらないという勝利を得ます。しかしその直後に乗り込んできたヴィンセントと賭けを行わなかったのはマックスがそのタクシーが止まってしまう運命を本能的に感じていたからでしょうか。

物語の軸はヴィンセントとマックスの関係にあります。日常的に無表情なヴィンセントと非日常的に表情豊かに反応するマックス。しかし映画の序盤ではマックスにヴィンセントを拒絶する権利は無くタクシーもヴィンセントの思いのままに走っていき、停車します。後から考えてみると途中、逃走中のヴィンセントがパトカーではなく空から追ってくるヘリコプターを車内から必死に見つめていたことは彼自身が日常的な乗り物である自動車に関心が向いていないこと(つまりヴィンセント自身の日常的に無表情な人生に対しての無関心)を表していたように思います。

しかし当然の事ながら映画後半に進むにつれヴィンセントの思い通りに日常的に車を走らせることはできなくなっていきます。ついにマックスのタクシーは暴走、クラッシュという形で精一杯の非日常性をヴィンセントに見せつけます。それは同時に監督マイケル・マンのタクシーによる非日常性の表出に対する拒否を意味します。そしてこの映画の舞台はアニーの勤めるビル、その後自動車よりは非日常的で走行中における映画的展開が望める地下鉄へと移っていきます。殺し屋にとってもタクシー運転手にとっても非日常的な空間である地下鉄(僕には日常的過ぎる)で最後のドラマを迎えるわけですが、マイケル・マンにも限定的で日常的な自動車という空間においてのみ映画を完結させるということはできなかったようです。

コラテラル公式ホームページ
[Amazon][DVD]コラテラル

[2004米/ドリームワークス][監督][製作]マイケル・マン[脚本]スチュアート・ビーティー [音楽]ジェームズ・ニュートン・ハワード[出演]トム・クルーズ/ジェイミー・フォックス/ジェイダ・ピンケット=スミス

Kinema | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

- | permalink | - | -