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『オーシャンズ12』 アメリカへの歪な回答

オーシャンズ 12スティーヴン・ソダーバーグは『エリン・ブロコビッチ』や『トラフィック』で物語を過不足なく語り、所謂、ハリウッド映画として遜色ないものが撮れるアメリカの映画監督として半ば証明されているかもしれない。彼が『オーシャンと11人の仲間たち』のリメイクとして『オーシャンズ11』を周囲の期待を裏切ることのない微妙なフィルムとして撮り上げても別段、気にも留めずにいたが、続編となる『オーシャンズ12』がこうした歪なアメリカ映画に成り果てたのは理解できる気がする。今、「ハリウッド映画」を撮ることはこうした「あべこべ」な作品を創り出すことだというソダーバーグ流の皮肉だとすぐに気付いてしまい、『オーシャンズ11』『ソラリス』『フルフロンタル』と続く本作に作家性の端緒を容易く見て取ってしまうこと、それは間違いではないだろうし肯定も否定も受け付けないアメリカ映画の今なのだろうと思う。

フルフロンタル根拠や理由のない「出たら目」な映画として完成しているのではなくフィルムのあらゆる縁にもたらされた順序や方向の混乱、その「あべこべ」さは映画自体にゆがみを起こしている。ソダーバーグがその形を突き詰めて思考したフィルムは、エピソードが語られれば語られるほどに、俳優が演じれば演ずるほどにタイトルとは裏腹な状態に陥っていく『フルフロンタル』(正面に何もないヌードの意)であって、実は『オーシャンズ12』の正統な前編にあたるのではないだろうか。『フルフロンタル』では劇中演劇・劇中映画やデジタルビデオとフィルム撮影の使い分けが為されていてフィルムは物語・フレーム・編集、多様なレベルで現実と連係していく。多重的なフィクションであるが故に現実と対峙してしまう「映画」となることが、もはや「ハリウッド映画」は撮れないというアメリカの映画監督に突きつけられたパラドックス的な状況へのソダーバーグなりの回答であった。

オーシャンズ11ならば、『オーシャンズ12』の何が「ハリウッド映画」への皮肉であり、現在のアメリカ映画という歪さを表しているのか。物語の舞台はアメリカからアムステルダム、ローマ、パリと様々に移ろっていく。スクリーンいっぱいのROMEという文字等、必ず字幕によって場所の具体性が示される莫大な予算を使った海外ロケーションは「スタジオシステムの不在」を意識的に露呈させている。
 そして何より、このフィルムは物語・時間の混乱ぶりによって盗みのプロ集団による痛快な強盗計画の成功がクライマックスになり得ず(そもそもこの作品中に強盗計画があったのかが疑問である)、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ演じるイザベルのメロドラマこそが真の物語となっている。オーシャン(ジョージ・クルーニー)の号令で仲間達が再び協力するのではなく、前回、一泡吹かせたはずのベネディクト(アンディ・ガルシア)に脅される形で集合するというネガティブな物語の始まりはこのフィルム全体のゆがみを前もって表し、更には彼等のおかれた状況や行動が常に後から倒置法の文体のように示され、時間の基点となるラストに向けて物語は行きつ戻りつしてしまう。そんな混乱した物語の中で決して動揺することがないように見えるのはタイトルバックにベットで横たわるイザベルの寝姿とラストカットの彼女の笑顔であり、その両方の彼女は本質的に全く変わらない。終わりの時点のイザベルとフィルムの始まりから全てを了解していたイザベルの間には差異がなく、そのことはそれまでのオーシャン達のアクションが殆ど無意味に帰してしまうことを吐露している。

『オーシャンズ12』は「ハリウッド映画」に憧れ豪奢な現在のアメリカ映画を嘲笑する、しかしフィルムに映っているのは正反対で混乱している、歪で「あべこべ」な映画だということが器用な映画監督が提出したアメリカへのちょっと嫌味な回答となっているようだ。

[2004米][監督] スティーヴン・ソダーバーグ [脚本] ジョージ・ノルフィ[製作] ブルース・バーマン 、ジョージ・クルーニー 、スーザン・イーキンス[音楽] デヴィッド・ホームズ[出演] ジョージ・クルーニー 、ブラッド・ピット 、ジュリア・ロバーツ 、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ 、アンディ・ガルシア
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この記事に対するコメント

私はオーシャンズ12を見て、この記事と似たようなことをドーナツみたいに考えていました。ドーナツはあんぱんの脱構築ね。あんの部分が抜けている。11からみるとだいぶ突っ切った感があって、始めから終わりまでストーリーを空洞化していく意図は完璧に近く実現されているのではないでしょうか。
周りを取り囲む音楽とか映像がステキなのも抜け目がない。カポエイラで赤外線をよける無意味さはきっと忘れられない映画体験だったような気がします。

「大人数」+「あいのりみたいなドキュメンタリー的手法」が生み出しているあの強烈な散漫さを、映像のテンポと音楽でゆるーく繋ぎ止めてまとめて、よくあるハリウッド映画っぽく売り出してしまう、ソダーバーグって、編集うまいんだなあと思います。ビデオテープ以降の不遇時代に彼は相当ひねたんだろうなあ。
マサキ | 2005/03/01 12:12 AM
この記事に対するトラックバック
公開から随分と日が経ってそろそろ打ち切りになろうかという「オーシャンズ12」をやっと観てきました。 前作「オーシャンズ11」からの続編ですが、前作を観ていなくても楽しめます。でも、ただの豪華スター競演ていう感は否めません。最初の30分でなんだかお腹い
オーシャンズ12 | In my opinion・・・ | 2005/03/01 7:14 PM
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