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---------------------------- 2005/05/01 管理人

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『カナリア』 手と家族

B0007G8DD8黄泉がえり塩田明彦は「疾走」の作家である。「どこまでもいこう」の子供たちの疾走は、「黄泉がえり」のラストの草ナギ剛の疾走へと受け継がれ、そして待望の新作「カナリア」においても、我々は、塩田明彦の「あの」疾走を堪能することができるだろう。

「カナリア」の序盤、何の面識も無かった少年(光一)と少女(ユキ)がある出来事をきっかけに、突如として行動を共にする。この時スクリーンには、紛れも無く、少年と少女が草原を駆け抜ける姿、つまり塩田明彦のあの疾走が映し出されるのだ。塩田明彦は、まるでこのように宣言しているようだ、「少年と少女が行動を共にするのに理由なんかいらない。ただ一緒に疾走しさえすればいいのだ」と。

実際、中盤で、光一とユキが光一の祖父の家を訪れるが、そこはもぬけの殻で、途方に暮れた末、仲たがいし、一度は別離してしまうのだが、「疾走」をキッカケに、ユキと光一が再び行動を共にすることになる。

害虫 しかし塩田は「カナリア」において、「疾走」の作家であると同時に、「手」の作家でもある。それほどカナリアにおいて「手」は重要なのだ。例えば、光一が東京へと向かう決意を示すのに、塩田が選んだ演出方法は、壁に貼られた日本地図を、「害虫」の宮崎あおいのように、「手」でなぞることで表している。また、光一の家族がニルヴァーナに入団し、家族がバラバラになることを暗示する場面では、契約書に光一の家族が「手」で拇印することで表されてはいなかったか。

今、「家族」というワードを出したが、「カナリア」のテーマは「カルト教団」では全くなく、実は「家族」が真のテーマなのだ。そして、塩田は、この「家族」というテーマを、紛れもなく「手」によって表現しようと試みたのだ。

では、塩田が「手」によって示そうとした「家族」とは何か?それは、戦後のフィクションとしての家族に他なるまい。フィクションとしての「家族」とは、もはや家族において、血の繋がり、つまり「血縁」が何の意味も持たなく、いつでも簡単に解消されてしまう、いわば諸刃の剣のようなもので、「家族」は概念上の産物、つまりフィクションによって辛うじて成り立っているに過ぎないということだ。実際、「カナリア」に登場する「血縁」で繋がっているはずの家族は、ことごとく崩壊してはいないか?光一の家族は言わずもがな、ユキの家族も母親はすでに亡くなっていて、本当の父親からはDVを受け、もはや父親を信用していなく、光一と行動を共にすることで、あっさり父親を捨てている。光一たちが道中で出会う咲樹は、レズビアンのパートナーと小旅行をしていて、夫とは別れ、娘には満足に会うことさえままならない。このように、「カナリア」に登場する「血縁」で繋がれているはずの家族は、フィクション故の弱さを露呈し、決して成り立つことはない。

しかし、「カナリア」には、フィクション故に成り立っている家族が姿を見せてはいないか?例えば、改心したニルヴァーナの信者が身を寄せ合い、ひっそりと暮らしているが、ここにおいて、フィクション故の家族が成り立っているように見える。そして、その貧弱なフィクションとしての家族を辛うじて繋ぎ止めているのは、まさに「手」なのだ。実際、光一とユキが旅立とうとしている時、餞別を「家族」全員を伝って、全員の手を通して渡されるのは、この仮初めの、いつ解消されてもおかしくない関係の中で、その関係を唯一、おぼろげながらも繋ぎ止められるとしたら、それは物質的な「手」によってでしかないということを示している。いや、むしろ、もはや現代では、本当の「家族」など成り立ち得ず、フィクションとして、物質的に「手」を介することぐらいでしか感じることができないほど、「家族」が希薄化していることを暗示しているのかもしれない。


塩田が、この「カナリア」という家族映画(シネマ)に用意したラストは、光一がユキに「手」を差し伸べ、その「手」をユキがしっかりと握り締め、光一と光一の妹とユキの三人が田園の中を、手を繋ぎながら何処かへ向かってトボトボと歩き出すというものだ。



塩田が出した結論。フィクション故に脆く壊れやすい。それでも人は「手」を繋ぎ、家族を作って「生きていかなければならない」!

カナリア 公式ホームページ

[監督・脚本]/塩田明彦[出演]/石田法嗣 谷村美月 西島秀俊 りょう つぐみ 甲田益也子 水橋研二 戸田昌宏 井上雪子 ほか[製作]/佐々木史朗、中川滋弘、川城和実[プロデューサー]/松田広子[撮影]/山崎 裕[照明]/佐藤 讓[録音]/郡 弘道[美術]/林 千奈[編集]/深野俊英[音楽]/大友良英[エンディングテーマ]/向井秀徳「自問自答『カナリア』ミックス」(コーラス/浜田真理子)[スチール]/田尾沙織[配給・宣伝]/シネカノン[宣伝]/ビターズ・エンド
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