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---------------------------- 2005/05/01 管理人

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『彼奴は顔役だ!』 記憶の証言者

彼奴は顔役だ!ラオール・ウォルシュの『彼奴は顔役だ!』、ラストカットには三人の人間がフレームに収まっている。それはフィルムの冒頭で出会った三人の男達ではなく、死にゆく主人公のエディ(ジェームス・ギャグニー)、それを抱きかかえるもぐり酒場の女主人パナマ(グラディス・ジョージ)、そしてその二人に事情を聞こうとしている名もなき警官の三人だ。教会の階段を登りきれずに息絶えるエディは確かにウォルシュ的な主人公であるだろうし、涙ながらに彼を抱いているパナマだけでも充分にロマンティックな最後を演出できてしまうはずであるのに、何故、エディとパナマの二人だけではなく警官が必要であったのだろうか。警官はパナマに尋ねる、「彼との関係は?」、パナマは答える「一生、分からない」、「彼の仕事は?」「昔は大物だった」と。パナマがエディの「証言者」であるなら、警官はそれを聞く者、物語の「証言者」として必要だったのかもしれない。「狂乱の20年代」を舞台にしたこの作品の最後には、『ハムレット』のホレイショーとフォーティンブラスのように「証言者」が必要だった。

白熱1939年に公開された『彼奴は顔役だ!』は犯罪部門の新聞記者でもあったマーク・ヘリンジャーの原作の元、「狂乱の20年代」をたかだが10年程度しか経ていない当時にあっても、ある種、回顧的に物語るように見ようとされていたかもしれない。しかし、監督・ラオール・ウォルシュにとって映画に成すべきことはそうした過去の記憶を回顧的に愛でることではなく、その記憶を映画に召喚することであった。キャグニー達の役者が演ずるストーリーの進行と共に、この映画にはその時代を証言するような映像が挿入されている。第一次世界大戦、復員兵の帰還、禁酒法の制定、世界恐慌の到来がニュース映画の映像や特撮映像、新聞や再現映像によって示し出され、あらゆる映像が20年代の記憶を呼び起こす。それはこの作品が歴史的な時代考証によって作られているから素晴らしいという擁護では些かもあり得ない。この映画に記憶の喚起が必要なのは、ウォルシュとキャグニーの名コンビが即興的に場面の演出を付け加えることからもうかがえるように人間の感情や運動の速度をカメラに収めながら物語を語る速度へと還元するようなウォルシュの話法そのものと映像が喚起する記憶が重奏されることで観客が記憶の渦へと巻き込まれてしまう、そのことにある。

スタア誕生また、当時では珍しかったであろう音楽の引用も「証言者」の一例に数え上げられるだろう。プリシラ・レーンが酒場で初めて歌う“ハリーに夢中”は21年にラグタイムミュージックの巨匠とも言われるユービー・ブレイクの作曲であり、この映画のために作曲されたものではない。ワーナー制作でありながらマックス・スタイナーが音楽ではないこのフィルムには幾つかのスタンダードナンバーが引用されている。音響の魅力につかれていたウォルシュが(彼の作品に登場するラジオ等を見ればそのことはすぐに了解できる)、自らの作品に過去の名曲を引用することに意識的でなかったはずはない。クラブや酒場でかかる名曲の数々も記憶の「証言者」としてウォルシュが呼び出したものだ。単なる時代背景などではなく、映像や音楽といった「証言者」に召喚される記憶が『彼奴は顔役だ!』を覆い尽くす。だからこそフィルムの最後には映画を締め括る「証言者」が姿を現さなければならなかった。それがパナマであり、名もなき警官である。その時、観客は「観客」ではいられなくなり、私達自身がこの映画の「証言者」となってしまうのだ。

フォレスト・ガンプフォレスト・ガンプ』を撮った時、監督ロバート・ゼメキスは「もはや映像は事実を証明しなくなった」と語った。確かにそうだろう。だが映像が事実を証明出来ずとも、映画が「証言者」によって事実の記憶を呼び起こすことは可能なのだ。それは撮影、脚本、編集、音楽、個々のレベルだけではなく、映画によって表象し得る。『彼奴は顔役だ!』はまだ映画が誕生して40年程しか経っていない頃にそのことを証明して見せ、名作として今でも私たちに記憶を喚起し続ける。プリシラ・レーンの歌う“憂鬱なあなた”が54年の『スタア誕生』で酔っ払いに歌われる時、記憶は連鎖し映画に立ち返ってくると実感してしまう。

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